
11月30日
第 1454 回例会記録 No.16 平成 17年 11月 30日 司会:会田 謙二 編集:長島 洋一
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会 次 第 1.点鐘 2.ロータリーソング 「奉仕の理想」 3.会長挨拶 4.幹事報告 5.委員会報告 6.外部卓話 「折り紙でできること、してきたこと」 越谷市立平方中学校 松沢 春雄様
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会長挨拶

会長 安井 晃
11月23日〜25日にかけ安養冠岳RCに表敬訪問してまいりました。参加者は増田幹事、青木30周年実行委員長、若海国際奉仕委員長、鈴木(由)分類・選考委員長、小林(操)R情報委員長、一柳30周年実行委員、会田親睦活動委員、安 秀英米山奨学生、それから安井です。
この度の訪問の目的は、昨年に引き続き親交を深めること、30周年記念式典への出席要請、例会に出席することの3つと致しました。それから、1988年4月2日に作成された「姉妹クラブ同意に基づく推進の基本方針」に従い、諸費用は協議の上、折半とすることを基本に考えました。これらのことを事前に安君を通して安養冠岳RCと連絡調整を行いました。諸費用折半について安養冠岳RCでは、韓国の生活習慣上,大変困惑したようですが十分に話し合い相互理解ができ、実行していただきました。
1日目は金浦空港到着後、会長,幹事、国際、クラブ、新世代各奉仕委員長の出迎えを受け、ソウル市内で焼肉の軽食を頂き、安養市のホテルに向かいました。ホテルでチェックイン後直ちに例会場に案内されました。例会場は小ビル内の4階にあり、当例会場より一回り小さく木製のテーブルと椅子が2列に配置されておりました。会員数は38名とのことです。例会場では、林会長から30周年に因んで夫人同伴で30人位出席したい。2007年4月に20周年を予定しているのでよろしくとの話を頂きました。しばらくして、3750地区パストガバナー・RI財団委員長の羹 昌浩氏が来訪されました。羹氏は当クラブ30周年記念事業として、実施クラブが越谷北RC、支援クラブが安養冠岳RCで、総額2万ドル位のマッチンググラントを行うことは大変意義有ることである。安養冠岳RCはその用意が有る。安養冠岳RCの20周年にも同様に事業ができるのではないか。私も役職上から後援する。申請書類の書き方、手続き、等々、熱意を持って懇切、丁寧に私たちに話されました。私は、青木実行委員長の同意の下、クラブに持ち帰り検討し成就できるよう努力したいと、この有難い提案に感謝とお礼を述べました。例会と懇親会は昨年と同じ千 錠珍会員のレストランで行われ、旧交を温めると共に,双方の新会員同士で新しい友好の芽が生え始めました。(例会プログラムは別記参照)
2日目は越谷北RCを代表する一柳会員のゴルフ組と観光組に別れて行動しました。観光では、今年10月に完成した清渓川文化館に案内されました。産業・経済の発展と共に、清渓川の上に高架道路が建造されましたが老朽化し、修復か解体か賛否両論の中で時の市長の選挙公約により解体され、清渓川が生き生きと蘇りました。
ソウルという大都会の真ん中に生活汚水でないきれいな川の水が流れ、両岸には遊歩道があり市民の憩いの場となっておりました。水保全並びに人間の生活を考えて復元されたこの川の歴史を知ることができ大変感動しました。現大統領の好物で就任前何度も訪れたと言うお店でサムゲタンの昼食を頂いた後、国立中央博物館を見学しました。夕食は辛 建翼現幹事のお店でマグロの刺身料理を頂き更に親交が深まりました。二次会は例年のとおり行われました。
3日目は南大門とロッテデパートに案内され、ショッピングをしました。その後、金補空港に向かい昼食を共にして別れの挨拶を行い帰国の途に着きました。
この度の訪問で、安養冠岳RCは私たちの意向を十分に尊重して対応して頂きました。皆様方からのご芳志と安君の尽力を頂き,お陰様で所期の目的である表敬訪問ができましたこと大変有難く、皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。
12月2日に行われます30周年記念ゴルフ大会には、皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
11月9日第1452回例会において、次々年度会長理事役員の指名に当たり、パスト会長を構成メンバーとする指名委員会の設置を皆様からご承認いただきました。これに基づき11月18日に指名委員会が選出されました。指名委員長には中村義雄直前会長が選出され委員長が議長となり、次々年度会長指名の協議がおこなわれました。
結果は指名委員長から報告があります。
以上でご報告を終わります。
幹事報告

幹事 増田 英樹
1.11月23日より安養冠岳RCへ表敬訪問をし、熱烈な歓迎を受け25日無事帰国いたしました。
2.12月1日よりロータリーレートが118円に変更になります。
3.埼玉県立越谷養護学校.PTA会長.校長より越養祭・PTAバザー協力へのお礼。
4.地区より[新会員つどいの夕べ]の案内が再送。
5.地区クラブ奉仕部門委員長.増強大会防止拡大委員長より会員増強に対し具体的なクラブの現況を知るべくアンケートのお願い。
6.越谷6ロータリークラブ合同新年例会平成18年1月10日(火) 会場 らぽーれ ホストクラブ 越谷ロータリークラブ
7.地区 マルメ・コペンハーゲン推進委員長田村亮夫PG小野寺義彦地区幹事よりマルメ・コペンハーゲン世界大会に皆で参加しようとの募集の案内。旅行日程 2006年6月10日(土)〜6月14日(水) 5日間 詳細は年明に詳しく案内
8.次年度第4グループ.第7グループガバナー補佐の経歴書が届いておりますので掲示板に。

社会奉仕委員 西島 孝
安養冠岳RC表敬訪問には会員皆様からカンパを頂きお蔭様で無事に行ってくることができました。
安井 晃 増田英樹
若海兵馬
松沢春雄様卓話よろしくお願いいたします。
安井 晃 増田英樹
石川輝次 黒田幸英
30周年記念ゴルフ全員参加で成功させましょう。
安井 晃 太田靖彦
今年も残り1ヵ月です。健康に注意してください。
平林健一 石井知章
社会保険庁長官表彰を受けました。
これは公的年金ボランティアの関係です。
宇田川芳行
宇田川さん受賞おめでとうございます
西本好郎 本間 孝
ロータリー財団年次寄付集金中です。よろしくお願いいたします。
小林光則
米山功労者表彰者11名の方誠にありがとうございました。
高橋正美
上海に出張に行きました。しばらくぶりで上海に行きましたがすごくバイタリティーにとんだ町です。
小河内梅幸
前回欠席。
中村義雄
世界平和の為に。
松崎義一
委員会報告
国際奉仕委員会

委員長 若海 兵馬
安養冠岳RC表敬訪問の報告をします。
会員の皆様の心的、金銭的、ご協力をいただきまして予定通り11月23日より25日迄、好天と安養冠岳RCの大歓迎を受け、表敬訪問を成功裏に終了いたしました。
20年弱の長期間の友好関係は両クラブの歴史を作り、両国の文化や、お互いの国情の理解の掛け橋になっている感は確認できたように思います。
30周年記念行事に大勢で来られるようです。また、マッチングの提唱もあり、安井会長、青木30周年記念事業委員長におきましても、安養冠岳RCの意気込みを感じ取り、クラブ運営の一助にされるものと思います。
昨今の韓国の経済的発展を目のあたりにして、両クラブの親睦、協力関係は、これからの奉仕活動に重要な案件になるものと感じました。
ご協力ありがとうございました。
指名委員会
委員長 中村 義雄
さきほど安井会長が卓話で申し上げましたとおり、次々年度会長指名の協議が行われました結果、次々年度会長に黒田幸英会員が満場一致で指名されました。
次年度理事役員の指名候補としては、次年度会長の太田靖彦会長エレクトに一任することに決定いたしました。
外部卓話
越谷市立平方中学校

松沢 春雄様
折り紙の歴史


紙を折って何かを作る ⇒ 神道の神事に使うもの
紙が庶民に安く手に入るようになる ⇒ 江戸時代
浮世絵に折鶴の柄の着物がある ⇒ 鶴は江戸時代からあった
明治に入ると幼稚園教育に折り紙が使われるようになる。⇒ 日本独自の展開
折り紙は日本独自ではない
紙があれば、それを折って何か形を作る、どこの国にもある。
外国にも有名な折り紙作家はいる。
日本の折り紙の現状
A.鶴に代表される、形がきれいで、やさしく折れてその特長をよく表しているもの。
B.できるだけリアルに細部にこだわって作品を仕上げていくもの。100工程以上はザラ。
C.同じ部品をいくつも作って組み立てて作品とするもの。
Aはデザインを重視し、愛好者は幅広い。
Bは外国人や若い人が好む。
Cはお年寄りが多い。リハビリむきである。
1.私と折り紙
35年前、母子寮の時代本と出合う。独学中に渋谷のデパートで開かれていた折り紙展へ行き、折り紙協会に入会する。以来30年近く折り続ける。
やさしく折れて可愛らしいもの、動く折り紙、干支の動物などを好んで折る。
一枚の紙から愛が生まれる。
私の教えた折り紙講座の折り紙がきっかけで結婚したカップル
2.10年前神戸の地震で
折り紙、色紙を救援カンパ集めに使う
" 買ってください一枚300円以上で " としたところ10万円以上集まる。
3月17日 2ヶ月後の神戸へ行きました。
○報道されていない部分もあるだろう、自分の眼で見てみたい。
○子供が退屈しているのではないか。折り紙をして遊んであげようと。しかし全くそういう状況ではなかった。(気分的にも、環境的にも)
印象的な出来事
焼け野原で、おじいちゃんと孫娘と思われる二人に「折り紙あげるよ」と手渡すと「わっ、アンパンマンもおるで」と喜んでもらえた。その場を立ち去ろうとすると、おじいちゃん
が追いかけてきて「孫がもう一人おるんや、もうひとつおくれぇな」涙を浮かべていた。
震災このかた、孫がこんなん、うれしそうな顔したの初めてだった。と言い礼を言われた。
8月に再訪
子供は仮設住宅にこもっていた。阪神沿線、青木駅、お茶を売る店、テントで炎天下お茶を売る姿に感動した。
3.中国
20年近く前観光で行った時にパンダの折り紙をあげた。その喜び方に感動
娘さんに「一枚あげる」と折っていない紙をあげる。何色を選ぶかが驚き
15年前、河北省石家荘市贊皇県(ざんごうけん)を中心に中国の貧しい山村に学校、学用品を贈る運動に参加、貧しさを自分の眼で確かめる。
一戸当たりの年間収入3000円。
30年前の自分たちを見る気分。眼の輝き
学校は暗い土蔵のようなところ。
鉛筆一本
何かしなければ、してあげたい。
500万円で学校、一校《8教室》
教室一つプレゼントしたい
奨学生制度
貧しさで学校へ行けない子を支える。
年間1万5千円
会全体で100人前後 ⇒ その内10人分を引き受ける。
折り紙で稼ぐという自分のこだわり
色紙500枚を年間目標
5年間続ける
親切な日本人がいて、中学や高校へ行くことができた。
里子に会う
賢い顔、勝気な顔、言葉ではなく眼で会話、手紙も来る。
旅の中で折り紙を教える。一般論として、手仕事をしているので日本人より器用である。
4.老人ホーム折り紙教室
私が折り紙を始めるきっかけとなった母子寮は、東京の目黒区にあるが、そこは、いろいろな施設があって、老人ホームもある。私が学生当時、老人ホームにいた学生がそのまま就職した関係もあり夏休みになると、折り紙を教えに2,3年行っていた。ある年、生徒3,4人を連れて行ったら私一人の時よりずっと熱心に参加してくれた。お年寄りは折り紙がしたい訳ではなく、中学生と触れ合うことがうれしいのだという事を理解した。以来10年間、年3回中学生を20名程連れて老人ホームを訪ねている。
「最近は、福祉教育とかで、いろいろな中学生が来るけど、いきなり来て、おばあちゃん肩、揉みましょうったって、やだよねぇ」
「その点、折り紙はいいねぇ、折りながらいろんな話もてきるしねぇ」戦争の頃の話も出る。
中には、廊下ですれ違うと合掌して私を拝んでくれるおばあちゃんも・・・・・
中学生は、核家族化が進んで大人から頼りにされる機会が減っているので、折り紙を教えるというのはよい機会である。
電車代とお昼代で2000円程かかるが、何度も希望する生徒が多い(大学生になっても来る)お金で代えられないもの 本当のボランティア
以上卓話の抜粋
例会出席報告
会員数 47名
出席免除者 5名
出席者 36名
欠席者 9名
出席率 85.7%
