第 1479 回例会記録 No.37 平成 18 年 6 月7日 司会: 稲垣 勝三 編集: 黒田 幸英 |
会 次 第 1.点鐘 2.国歌斉唱 3.ロータリーソング 「それでこそロータリー」 4.4つのテスト 5.結婚祝・誕生祝 6.会長挨拶 7.幹事報告 8.会員卓話 「新会員のイニシエーションスピーチ」 9.スマイル報告 |
![]() 公的医療保険は大別して社会保険と国民健康保険があります。健康保 険法は大正11年4月に公布されました。大正15年当時、この法律に該 当した国民は全人口の約2%でありました。 昭和4年10月アメリカの株式市場暴落は世界恐慌に拡大し、日本にも 深刻な打撃を与えました。 越ヶ谷町では町立実科高等女学校(現:埼玉県立越ヶ谷高等学校) の県立移管の強行と、不況のよる税滞納者も多く税収入減により町財 政は極度にひっ迫しました。町の有志は財政立て直しの為、納税組合 を結成し税収の向上改善を図りました。その後この納税組合は「至誠 会」と称する無尽講を設立し、得られた流動資金を利用して、生活困 窮者の救済を目的とした医療共済を計画しました。町の有志一同は納 税組合を母体とする罹病者の医療共済事業体として「順正会」の設立 を図りました。 しかし、法人組織でない。資金が不安定。会員募集に当たっては治 安維持法に触れる。等の理由で当局から中止させられました。 一方、内務省社会局では、健康保険法の適用を大多数の国民が受けて いないこと、特に農山漁村・無医村の人々の健康状態は都市部に比べ 劣悪な状態にあったことにより、昭和8年4月より国民健康保険法制定 に向け調査研究を始めました。 このことから、順正会設立メンバーは内務省に事業計画書を提出し ました。内務省は国民健康保険制度要綱案と類似していることから、 順正会の設立を国民健康保険制度のモデル組合として助長したのであ ります。 昭和10年12月21日、発起人91名を以って越ヶ谷教会で順正会の発会式 を挙行しました。会員は越ヶ谷町・大沢町・出羽村・蒲生村の納税組 合員でした。保険料徴収率は納税額によって区分されていました。療 養給付は内科・外科・歯科・助産手当てで、昭和11年の1年間で4,198 人が受診しました。 昭和13年4月に国民健康保険法が公布され、同年9月、順正会は越ヶ谷 順正会健康保険組合になりました。 昭和23年越ヶ谷順正会健康保健組合は越ヶ谷町に移管されました。 昭和24年3月、埼玉県主催による国民健康保険法施行10周年記念式典 が越ヶ谷高等女学校で挙行されました。式典終了後、越ヶ谷高等女学 校前の梅園において記念碑の除幕式が行われました。 記念碑面には時の厚生大臣・林 譲治氏・書による「相扶共済」、碑 文(古来越ヶ谷の地たる人文の発達を以って知られた相扶共済を使命 とする国民健康保険の此処に発祥したる・・・)は元社会保険局長・ 清水 玄氏・書が刻まれました。その記念碑は現在、越谷市役所敷地 内・本庁舎南側にあります。 昭和10年前後、越ヶ谷町の有志が診療担当者の理解と協力を得て、医 療共済事業体としての順正会を設立・運営させた尽力に敬意を表する と共に、越谷が国民健康保険制度発祥の地であることを越谷市民の一 人として誇りに思います。 |
1.地区より、職業奉仕委員会(情報No.7)が届いております。 2.「ロービジョン友の会アリス」代表松田和子様より、当クラブよりの 支援金に対してのお礼と、今後ともご支援をよろしくお願いしますとの FAXが届いております。 3.浪江RC会長下宮秀三様、幹事朝田宗弘様より5月13日の 創立30周年記 念式典には、多数の会員が参加をさせて頂きありがとうございました。こ れを機に両クラブが、尚一層の親交を深める事を期待します。とのFAXが 届いております。 4.第2770地区森田武司ガバナーより、RI会長賞授与式の案内が届いてお ります。安井会長が応募致しました「2005〜06年度」RI会長賞の申請が通 り国際ロータリー本部より賞状が届きましたので授与式に出席して頂きた いとの事です。 5.前回の例会で報告致しましたマッチング・グラントの当クラブ負担金 ¥531,000を会員一人ひとりのロータリー財団年次寄付とする件に関し、 ¥531,000 はすでに処理済みの為、改めて会員一人ひとりの申請書を提出 しなければなりませんので杉山さんがその作業を進めております。 6. 第9回臨時持ち回理事・役員会での審議の結果ジャワ島中部地震災害 被災者救援の為、当クラブ独自に社会奉仕委員会スマイルより支援金を贈 る件、承認されました。 |
皆さん今日は、今回、私の人となりを話せということなので、お話して みたいと思います。 皆さん21,900日という日数、お判りですか?(60年を日数で表した数字 です。) 私も、今年還暦を迎えます。今日は、106日を引いた21,794日目です。何 とか21,900日はクリアしたいと思っています。 私の生まれた所は、新潟です。現在は上越市になっています。昭和21年9 月21日に生まれ小中高と18年間田舎に居りまして、昭和40年に東京は羽 田の鋼材の会社に入社し、その会社生活の中で足をケガもし、約6年半そ の会社に居りました。その後2年半位のブランクがあり、昭和48年4月に 会社を設立することになり私もサラリーマン生活の中ではお金もなく、 雇われ社長とし始まりました。 3人で出発したが、3人というのは、2対1になる可能性があり2人とは結果 的に別れることになった。 昭和48年という年は皆さんお分かりと思いますが、オイルショックの年 で、トイレットペーパーが無くなり、鉄が値上がりして大変な年でし た。鉄が10万〜12万位まで上がり私も1年位前に設立しておればもう少し 稼げたのかなーと思って居りますが、それから約10年位は低空で会社経 営をすることになり大変苦労致しました。 そんな中の昭和63年1月8日(昭和天皇が崩御された日)初めてアメリカ に行くチャンスがあり息子と2人でシアトルなどに行きました。その時ア メリカの国土の広さに驚きました。 この旅行中ロスのホテルニューオータニで入江という日本人と知り合 い、現在もお付き合いが続いています。 帰国してからも何度か電話での連絡を取っていましたから、又アメリカ へ来いとのお誘いがあり、遊びに行きました。彼が言うには、「ほとん どの日本人は、会ってもその時だけで終わってしまうのに、電話を呉れ た。だから又アメリカへ来るように誘ったのだ」とのこと。 私としては、出来るだけ永いお付き合いをしたいと思っております。そ んな性格が今回のロータリーの入会にもつながっているのではと思って います。 ロータリークラブへの入会に当たり紹介者の太田さんとはもう10年以上 のお付き合いになります。そしてこれから皆様とも永いお付き合いを宜 しくお願い致します。 |
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